ナウ!

  • 2015.01.29 Thursday
  • 18:45
冬らしくやや冷えた日。
昼は稽古に出た。正確に言うと朝から出かけた。
烏丸だった。電車でもぴゅっといける。昼の稽古はいいな。終わってから時間にゆとりがある。みんなでランチした。和見の先導でついていくと大人数でもゆったり座れる穴場みたいなカフェであった。店員さんもスマートだな。スマートで思い出したが劇団員全員スマートフォン、iPhoneになった。
みんなでランチ、こういう時間も大事だな。まぁ、だいたい稽古終わりはみんなでO将行ったりしてるか。でも、こういうカフェでランチ。みたいなのもたまにはいいな。

稽古でいろいろと新しい動きに挑戦してる。今日は、通称「ウインウイン」や通称「カッカッカッ」という動きの新たな方針が見えた。できたらいいなぁ。
苦しい「かかとグーパー」をやりながら、頭の中は昨日DVDで観た「映画 中村勘三郎」の厳しい稽古風景や早変えに走り回ったり語る勘三郎さんの眼差しの澄んだ目を時々思い出してた。新しい動きに挑むとき、勘三郎さんの稽古のように、型をつくる気持ちで動いていたい。
しかしながら身体のあちこちがかちかち山だ。カチコチになっていやせんかいナウ?
ナウは、Twitterでよく使われ知られる用語だが、文楽を観てたら、義太夫が泣き叫ぶように、ナウ〜!と時々言うのを、おもろいなぁ思ってたので使ったナウである。
ともあれ、柔らかく身体が動かせんのである。身体のコリや歪みからくるものと、その司令塔である脳の柔らかさ不足からくるのと同時にあると思う。
もっと脳をやわらかくして身体をコントロールしないと。
ノウを軟化させよう、と言うと、こわい病気の名前みたいやねイヤあね。しかし、そんなのんきな気分でなく、ノウ、なんかしよ〜よ〜!ナウ、ナウ、ナウ〜!と泣き叫びたいくらいなのである。

帰りに本屋の健康コーナーで、脳もやわらかに身体を動かそう、というエクササイズの雑誌があり、ぱらぱら見てると、以前ダンサーのMさんの誘いで一日体験してみたものだった。じっくり目を通して見たいなあと気になったので、同じく気になり手に取ってた売上げ好調と評判の文學界と、面白そうな筒井康隆の文庫本と、みんな一緒に購う(あがナウ)。

夕刻、部屋に帰り、KBS京都のニュースでほんやら洞の特集があるのを甲斐さんがFacebookで言うてはったのをふと思い出し、たまたまテレビの前に居たので見た。

焼け焦げた跡から、煤だらけのノートを掘り出し、燃えカスにならずきれいに文字が読めるページを見つけて開く甲斐さん。
「誰々からの手紙が残ってたわ。これはお宝や」と嬉しそうに言う甲斐さん。
キッチンから使えるグラスを選別し八文字屋のカウンターに移動させる甲斐さん。

特集VTRの最後に甲斐さんが言う。
「ほんやら洞を知ってる人は『あー、最近行ってないなぁ、行こうかぁ思ってたのに、ああ焼けちゃったなあ…』と思ったでしょうねぇ。ボクは日記もフィルムもなくしてしまったけど、無くなってしまったからこそ、『もっぺん記憶を掘り起こす』ことができた。ほんやら洞を思ってくれてた人と、もっぺん記憶を掘り起こす、そんな機会になったんちゃうかなあ…』
人を楽しませようとするカラッとしたいつもの口調の甲斐さんの声は、未来に向かう声やと思った。

途中のVTRで甲斐さんが八文字屋でお客さんと談笑してる場面がありカウンターの中の壁に「SILVER30」のチラシが貼ってあったのが映った。

2010年、「SILVER30」の前まで、ぼくはしばらく休止してたが、その復帰表明の意味もこめて、ソロ舞台「弾き鐵」をやらせてもらったのがほんやら洞だった。
「SILVER30」は2月で、「弾き鐵」をやったのが前の年の暮れのクリスマス直前で、本番前の仕込みとリハに前日の夜、ひとり、ほんやら洞に泊まり込みさせてもらった。夜中に何度か缶のほうじ茶を求め自販機に行って、ほうじ茶がほんまに温かったのを覚えてる。

その前に、ほんやら洞の大掃除を手伝った。
(参考までに、当ブログ アーカイブから2009年10月19日「おお!掃除」に記されてある。)


天気のよい日だった。
その時一緒に掃除したIさんに、返信することがあり、ついでに「ふと、ほんやら洞の大掃除の時の写真を最近見たんですが、Iさん、あの時髪短くて精悍でしたね」とメールした。
その日の夜、磔磔でライブを聴いた後、その余韻でぶらぶら歩いて木屋町に辿りつき、アバンギルドに寄り、時間は瞬く間に過ぎ終電を逃した。
木屋町通を下がり、歩きながら、八文字屋のあるビルの前で、八文字屋寄ろかなぁ、甲斐さんひとりかなぁと頭を過ぎり迷ったが、懐寒いしなぁと、結局寄らずに通り過ぎた。
懐は寒いけど、なんや今日はそんな寒ないし、歩いて帰ろかなぁって、滅多に起こらん発想がわいて、よし!と何時間くらい歩いたのかわからないが、桂川がようやく見え、越え、何とか歩いて帰ったのだった。
そんな滅多にせんことしたその明け方、コタツでうとうとしてたらほんやら洞が火事になったと聞いた。
聞いてから、言葉がでなくて、しばらく心臓がばくばくしてた。

いまだにほんやら洞の前は通れないし八文字屋で甲斐さんに何て言うたら…と寄れないままでいた。
Facebookを通じて甲斐さんのご様子は伺い知れるし、今日はニュースの映像で姿を見れ、声を聞け、やっと何か安心したような気持ちになれてきた。

また、1月は4日から風邪をひき、年末に痛めた足の付け根がずっと痛く走ることができず、後半は、ほんやら洞の火事を聞き、ぽっかりしたような落ち着かない気持ちのままで、寝違えたみたいに首を痛めたり、そんな平行線で日々が過ぎてたが、今日いま頃になり、ようやく調子が戻せそうな予感がしてきた。やはり気の持ちようなのだ。
2月はラジオ出演、上映会、短編公演と忙しくなるのだ。ますます整えていかねばと思うのだ。

しかしながら、部屋に居ると外からの隙間風がシンシンする。首にスカーフを巻きマスクをしながら寝ようとしながらも寒くて寒くて寝れないナウ!

真っ白から

  • 2015.01.02 Friday
  • 08:03
迎春

2015年=平成27年である

例年通り 1、2日は T国ホテルで 餅つきのステージ
毎年のことでほぼ10年近くここでステージをさせてもらえている

客席前列付近は毎年ここに宿泊してお正月を迎えるご家族が座っている
すっかり顔馴染みの子どもたち
年々背が大きくなってるのに気づく
かぶりつきで見てくれて参加コーナーではどんどんステージに上がり積極的についてくれる
ぼく自身がこんなにたくさんの子たちと触れ合えるのも一年でこの時くらいである

餅つきの前に獅子と大黒さまが会場を練り歩く
今年100歳になる車椅子のおばあちゃんが涙を流して獅子を拝んでいたと後で聞きジーンとした






何年ぶりだろうか
この降り積もる雪景色を見るのは

街灯に照らされて白が強調された路地は まるで映画のセットのようである

寄り道して駅前のいつもの店でひとり食した
レジに立ったいつも笑顔が印象的な店員さんが微笑みながら
「雪が降っておりますのでお気をつけてください いつもありがとうございます」
とやさしい声をかけてくれた

話したことなどないのだが
「今年もよろしく」
とか気の利いたことが言えたらいいのに
「どうも」
と小さくしか言えなかった


外へ出る
そのやさしい言葉の余韻がしみるのか
一面の景色が胸にしみるのか 涙溢れ出させて歩く道

真っ白だ…

真っ白だ…

道が
こんなにも
真っ白だ…



寺の横道
頭の中は
中村雅俊の「ふれあい」と
中原中也の「汚れちまった悲しみに」を同時に思い出してた…


悲しくて
美しい道に
出会うとき
あの人を思い出す…

汚れちまって がぎぐげご
ハッピを羽織ってニューイヤー

汚れちまって だぢづでど
ハッピーちゃうけどニューイヤー

人はみな ひとりでは
生きていけない
ごめんなさい

汚れちまって ごめんなさい
ハッピーちゃうけど入〜浴〜



二日間のステージを無事に終え
実家に寄る

録画してた 紅白歌合戦を見る

かっこよかった 天童よしみ
ハツラツとした 神田沙也加
大味やけど全体を盛り上げる TOKIOの長瀬
鼻声やけど力強くでかい 和田アキ子
思いのこもった 薬師丸ひろ子
親近感ある曲紹介する キムタク
今 という時間がある審査員の タモリ
すべてが自然でノンフィクションな 吉高由里子
彼女を精神的サポートする 仲間由紀恵
不思議に目立つ 有働アナ
バックライトで太もものシルエットを見せつける 長渕剛
ズームアップを拒否し空間の美と余韻に膨らみをもたらす 美輪明宏

それらの点に感慨深さを感じた


実は
クリスマス前くらいに不注意からビルの屋上の現場でつまづいて転け左脚付け根を負傷していた

ひそかに餅つきでは痛み止めの薬でしのいでた

克服し今年は朝走ったりしたいから
ランニングシューズがほしいと思う

靴屋で
アディダス ナイキ リーボック いろんなシューズを試しに履いた
無駄の無い動きでアドバイスをくれる店員と妹に手伝ってもらいながら結局
ニューバランスのシューズを購う

ニューバランスが
足の負担を補いつつ
足を包む

雪解けの真っ白な地面
転けぬよう

新しいバランスで
踏み出し
歩く





見果てぬ夢

  • 2014.11.14 Friday
  • 20:20

朝 I駅に降りた
時間があったので珈琲でモーニングした
mapで確かめながら歩いて現場のマンションに着いた
屋上に上がった
360度青い空
昼にひとりで寝そべった
水のないプールでぷかぷか浮かぶ心地がした



夕刻 I市に来たらいつも寄る立ち呑み屋Hに入った
湯割りとおでんをまず頼んだ
梅干しかレモン入れますか?
梅干しを入れてもらった

コの字のカウンター
いつもの恰幅のいい藤山直美みたいな女の人が切り盛りしてる
お兄ちゃん はいお待たせ
と言うてくれた

ひとりで来るおっちゃんが主な客層
憩いと安らぎのひととき
演歌が流れてる
森進一の若い頃のブルースがおでんの味と共に沁みていた

清酒男山を呑んだ
男山を思いだしながら

まっすぐ帰らず実家のある駅に向かった

電車を降りて 駅前でワゴン車の中でおばちゃんがやってるたこ焼きを土産に贖った

エレカシの「見果てぬ夢」を鼻唄に歩いてた










この町の
信号や街灯や
光りが
何処よりもきれいに
滲んで見えるのは
何故だろう

見果てぬ夢を追い求め
追い求め
歩く

光りと
影と
帰り道




朝の空

  • 2014.11.06 Thursday
  • 20:51

用意しようと重ねられた箱が並んでる
見られてはいけない衣装をカーテンや布で隠す
開催まで まだ二週間はあるはずなのに間違えてか人が集まってきたのだ
集まりはまだですよ と言う前に もう わあわあ話しかけるから こっちも今日がその日になっちゃったつもりで答えてしまい困ったことになったと思う
しかし この不意に来た人が 開催までにまだいま足りない何かを教えてくれてるような気がしてくる
その人が望むことに注意深く耳を澄ますと 満ち足りた その日を迎えることができるかなと考える…
そんな夢を見た

闇に 染み入る地面の音
小さな穴に穿つ雨に似た音
その音を聞きながら この身体を奮い起こす

久しぶりに着た作業着
久しぶりのぼくがいる

ニヒルな二匹に 行ってきます
Jフルの駐車場あたり
まっすぐ上に朝の空
まっすぐ宝石みたいに浮かぶ月
胸いっぱいに空気を吸って
まっすぐ一歩を進み出す

空気を吸って その角曲がる

まだ
知らないぼくを
追いかけるように

空気を切って その角曲がる

もっと前へ

  • 2014.11.01 Saturday
  • 02:09
部屋の中
ラジオから サン・サーンス「白鳥」
清らに流れる チェロの音色

次に
シューマン「トロイメライ」
ユラ~ ユラ~ とろけるような
とろ~い めらい 暗~い思いは 揺れてユラ~
とろ~い めらい 明る~いミラーに 映ってユラ~

公演 終わってバタバタと
知人の結婚披露宴で 司会と獅子舞して
いま 現場作業員してシャバに戻ってシャバダバダ~
私には 非日常も日常も もはやないような気がする
月曜~金曜までの平日と 土曜日曜の休みの日は わずかに区別はするものの
非日常の中の~日常を 日常の中の~非日常を
流れの~ままに 生きてる
トロイメライ 明るい未来に 変わるといいなぁ~

現場に新しいひとが加わった
気難しさが一切なく 私に 単純に話しかけてくる
吉岡秀隆に似てるね~とか えっ!役者やってんの~ どんな~ん?ミュージカル? 歌舞伎? 花もらったり 一万円札懐に入れてもらったりするの?
と 矢継ぎ早に質問しながら 大衆演劇のような舞台に立つ私をどうも想像してるらしいけど

今度見に行きたいな~ 行っていい?
ほんとに素直に聞こえたから

はい!見に来てください!
ほんとに来てほしいなぁ~思って言うた


静かな 静かな 夜の中
窓辺から 虫の声
雨の中から 滴る音
膝の上から 猫の声 にゃあ~


私は もっと 前へ 出たい
力を込めた一歩で ぐっと 前へ
もっと~ぐっと
もっと~ぐっと 前へ 出たい
突き出たいなぁ~

ひとの心

  • 2014.10.30 Thursday
  • 02:01
公演 無事終わりました。
改めてご来場いただき 有り難うございました。
スタッフ・演者の皆さん お疲れさまでした。

できなかった 足りなかったことを忘れぬうちに次回に向け 意欲的で在りたいと思います。

しかしながら未だに舞台の夢を見ます。
先日は だいぶ奇妙なエンディングで幕切れする舞台の千秋楽の夢。その続きは間髪いれずに又初日を迎える夢。一本脚のイントレに登ったはいいけど降りれず怖くて おーい助けて〜と叫ぶ夢。
舞台が終われど まだ夢の途中だという現れなのだと思います。


今回 当日パンフレットに載せた文章を載せておきます。来れなかった方も会場を訪れた想像をしてみて下さい。


VOGA「Vector」公演 ご観劇の皆さま

本日、ここ石清水八幡宮 野外特設舞台に至るまでの道のりでは、赤や黄色に舞い散る落ち葉を目に浮かべながら、また野鳥のさえずりや虫の声に耳傾けながら、この男山の石段を息弾ませて歩いて登られたのでしょうか。
あるいはケーブルカーでびゅんとお越しいただいたのでしょうか。
ゆっくりと本殿へ参拝なさったり、展望台から木津川を中心に広がる景色を眺めたり(時代劇のロケ地で有名な流れ橋も見えるはずなのですが台風で流されたままだそうです)、ここ石清水八幡宮の竹が白熱電球のフィラメントとして使われたことに由来するエジソンの石碑を見たりされたでしょうか。

今、皆さまの頭の上の空は、果たして晴れてくれてるでしょうか?
月はあざやかに出ているでしょうか?
星が静かに瞬いているでしょうか?
風はそよと吹いてるでしょうか?寒くはないでしょうか?
この文を書く今の私は天気に恵まれることを祈るばかりです。
何だか手紙を書いてるようですね。

手紙を書く。「誰かに手紙書くみたいに文章を書け」と、若い頃に師匠に云われたことはずっと大事にしています。
舞台に立っていますと、どこか未来の自分に対して手紙のようなメッセージを送信している心持ちがすることが度々あります。
そして、今いる私が過去の私からのそのメッセージをふいに受信する心持ちを覚えることも度々あります。あるような気がします。

五感に多くの刺激を及ぼす野外舞台という空間には、記憶の底から立ち上がる風、未知の風が、運ばれてくるような心持ちになることがあり、そこに大きな強い力を感じます。
「運ぶ方向の先に生み出す力」野外舞台はまさにベクトルそのものと言えるのではないでしょうか。

私は 、「ひと」というものでありながら、まだ 「ひと 」に戸惑ってる、ためらう気持ちが強くあります。自分や他人の間に通ずる「心」が未だわからぬ未熟者です。
舞台に立つ私たちと、観てくださる皆さまとの間に、「ひとの心」がひかりのように見えること 通い合うこと を追い求め、私は、私たちは、力の限り、舞台に立ちます。
今回は野外舞台は初めてだという若い子を含め、たくさんの演者たちと共にこの舞台に立ちます。
誰かは、「ああ空気が美味しい」と笑顔でいいます。また誰かは、「ああ舞台の上に月が上っててテンション上がるなぁ」と喜びを浮かべます。何かにつけ「わぁ〜」と気持ちが高まります。
私は「ああ、そうやねぇ、…甘酒が飲みたいねぇ」と答えます。

このように私たちが舞台に挑めるのも、支えてくれるスタッフの協力あってのことです。演者の私たちは舞台で恩返しをせねばなりません。
そして何よりの仕合わせは、この野外空間で舞台が実現出来ることです。
石清水八幡宮の方々には、あたたかいお心遣いとお力添えを賜わり、感謝で胸がいっぱいです。

本日はご来場いただき、ほんとうに有り難うございました。
どうぞ最後までじっくりとご覧ください。


VOGA座長 草壁カゲロヲ

深呼吸

  • 2014.10.20 Monday
  • 12:34
男山山上に着いたなら まず深呼吸することをおすすめする
染み入る空気は 都会のそれとは違い きっと純粋な濃度であろう


竹の切り口に溜まった雨水は神水と言う
竹林の中で 少しぺろりと舐めてみた
ちょぴり甘い石清水


泣いても笑ても千秋楽
最後の最後の最高の千秋楽が迎えれるよう八幡さんにお詣りしよう

雨がややぱらついてるが
どうぞ
晴れ晴れと
男山で会いましょう!



包まれている

  • 2014.10.19 Sunday
  • 06:21
初日が無事に開け 昨夜はさらに多くのお客さんが集まりました。
寒いなか ご来場いただき有り難うございました。

山の上はやはり冷えこむ
屋台のあったかいのが人気で賑わっている
粕汁が美味かった

今日は客席にたくさんの人が満ちていた
不思議なことに安心感みたいなものを客席からにわかに感じる
終わって知り合いが多く来てたことがわかったので その見守られ感だったのか

ほどよい緊張と昂ぶり
舞台に立ちながら 客席に飛びこむ気分で 声を 動きを 目線を 届けたかった

一体感
山の空と木々と虫の音と
共演者たちと
真剣な眼差しで支えてくれるスタッフと
目の前のお客さんと
ぐぐっと
包まれている感覚

この感覚がやめれずに ほんまは怖いくせに舞台に立ってる
一か八かの舞台を作る
乗り越えなあかん壁
登らなわからんてっぺんまで登る
分かち合う光のようなものを信じて
身体ごと立ち向かう

我々は生きている
なんと仕合わせか

遊びをせんとや生まれけむ
戯れせんとや生まれけん


今日 明日のみとなりましたが 引き締めて 思いっきり挑みます。

VOGA 「Vector」
男山 石清水八幡宮で会いましょう!


  • 2014.10.17 Friday
  • 06:35

朝だ


朝が来た


朝日が射し込む


鳥が鳴く

猫が鳴く

まだ
ぼんやり
まだ
ぼんやりとした頭だが

湯を沸かす
毛布を取る
今朝は冷えこむ
猫が丸まる


ぼんやりとしてるが
満ちている
いつもと違う朝だ

この日の朝を迎えるため
いろんな人に支えてもらえ 助けられ
いろんな人に迷惑かけた
この日の朝を迎えるため
いろんなものを捨ててきた

すべてこの日を迎えるため

はじまりの
ありがとうの
ひかりの

















孤独の作業

  • 2014.08.16 Saturday
  • 18:07
KC3Z2861.jpg
 この頃部屋の整理をぼちぼちしている。
その中で 過去の資料やメモ書き走り書きのノートの類い(古くは約20年前からのもの)と直面し 捨てるか残すかの仕分けにいちいち細かい決断に迫られると同時 ああ孤独の作業だ と感じる。
それら過去のものに少しでも目を通すとき 何だか押し迫るように我が身のみぞおち付近に当時の思いが去来し 息が詰まるような時間が止まるような感覚になるが 当然ながら現実に時計はずんずんと進み 時間は動くし朝は来る。
はて?時間は動く?過ぎ去る?訪れる?まぁこの不確かな時間というx軸と ぼくの部屋の片隅の狭い空間というy軸に 自分の過去と今とがせめぎあうという点が孤独に浮かぶ。うす暗く色づくようにぽっかりと。

 下記の文章は 2002年「数独機弩演の当日パンフレットに記した文章である。
ぐるっと干支一周くらい経った今だけど その思いが何だか今の自分の身近に迫るよう感じたのでここに記してみる。


地平線上の孤独

時々、私は私がひとでいるために生じる、ある煩わしさを覚える。それは、困難や迷いに突き当たり、苦しみ、かなしみ、悩んでしまう時。そこからちっとも抜け出せず、一歩も踏み出せない状態の時、息苦しさを感じる。
「そんなことは決して犬には真似できない。花や、草木も、ゴキブリも持ちえない。ひと特有の“感情”だからこそいいんじゃないか」と言う人もいるだろう。
でも私は、感情など持たなくてもいい。犬になり、ウキウキと散歩したい。ぽっかり浮かぶ雲になり、空から町を見下ろしたい。黙々と、高くそびえる街路樹になり、町行く人を眺めていたい。鮮やかな色を咲き誇る花になり、風に吹かれていたい。そんな風に、感情を捨てた逃避行がしたいと思う。

感情を感情だけにとどめずに、上手く思考に結び付ければ、困難や迷いは回避できるだろう、と簡単に言ってしまったが、その為には知恵と努力と体力が必要だ。全て思い通りにいかないのが現実だけれど、感情を思考回路に移し変え、思考を掘り下げていけば、悩む事は少なくなるだろう。
私が舞台に立ちたいと思うのは、舞台に立つのが好きだという感情だけではない気がする。舞台が建ち上がる、立つまでの過程で、時にはストイックに息をつめ、時には長い目で見つめながら思考する努力ができるからであろう。

ひとはある局面で孤独を知るだろう。でも、それを回避することなく、共鳴させつつ、うまく付き合っていければと思う。





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